移動音楽図書館をマダガスカルに

2008/1/21 月曜日

“POA TOA IZAY” コンサート part 2

CATEGORY: マダガスカル — admin @ 17:11:13
続けてステージ上には、10年間マダガスカルで活動を続けているAyumiこと、浦田あゆみ(PHENIX MUSIC「夢のキャラバン」プロデューサー)が、男性ダンサーになんとお姫様抱っこのスタイルで登場。BESSA&鈴木のデュエットに合わせてダンスを 披露してくれました。

 

BESSAもお気に入りの彼女の透明な美しいボーカルは、彼のアルバム「IRAY FEO」にも納められています。“RAOZY”というこの曲は、BESSAがAyumiのために書き下ろしたチャーミングな曲ですが、この日はバラード名 曲“ANDRIKO”をマダガスカル語と日本語で聞かせてくれました。彼女の歌声は在京マダガスカル大使館でも人気があり、彼女が歌うとみんなが踊り出すほどです。 パワフルなBESSAファミリーの歌手の中で清楚で雅なAyumiの歌声は柔らかな彩りを添えてくれました。

鈴木、浦田の日本人2人の登場によりBASSAの音楽は国境を越えて愛されている事を会場にいた全てのマダガスカルの人々に十分伝わった1コーナーでした。



さてコンサートにはBESSAの奥さんで歌手のLOLAも当然参加していましたが、マダガスカルのDIVA、BESSAの作品で有名になった歌手の BODOやNANIEが中心となってBESSAの作品を歌い上げました。でもやっぱり観客は「LOLAはどこ〜?早く〜!」と催促していました。寸劇での LOLAはオトコ好きな悪女役が多かったので、どんな気持ちで見ていたのでしょう。若かりし頃のLOLAは相当もてたという話は有名で、BESSAもさぞ かし悩まされたのではないかと想像します。でもBESSAは大きな神の愛を歌うアーチストですから、夫婦間のプチ不倫までも歌にして許してしまい、さりげ なくデュエットさえしてしまうのです。

 
BODO/NANIE
そしてLOLA


幕間もなしの、寸劇やダンスシーンも入ったノンストップ合計35曲の長時間のプログラムでしたが、BESSAの同世代や彼の作品と共に育ったファンたちに とってはまるで自分達の青春をレビューしたような気分で時の経つのを忘れたと言います。わたしでさえ、最初にマダガスカルで、ラジオから流れるBODOが 歌うBESSAの曲を聴いた日のことを思い出していましたから・・・
でもファンよりも誰よりも一番嬉しそうだったのは紛れもなく、BESSA本人です。
自分の子供時代〜青春時代を演じる子役から青年まで、BESSAの分身となる俳優君たちがなんと4人もいて、どこの時代にさかのぼってもBESSAだとわかるように衣装は同じポロシャツだったのですが、その子供達の演技を目を細めて見ていました。

 少年の頃からオルガンに向かうBESSA

 青年時代にはお酒に飲まれることも・・

コンサート一曲目はBESSAも同じポロシャツで登場し、とてもお茶目でした。



BESSAは時には自分の作った曲を忘れるほどの数を作詞・作曲しているのですが、この日も笑みを絶やさず、しかし、熱くなり過ぎることもなく、淡々と一曲一曲を演奏しながら歌っていました。

 
4人の子役と司会のGOTHLIEB/BESSA達に囲まれるBESSA

 
コメディアンのGothelib/コーラス隊

ダンサー    俳優さんたち

写真では小さくて見えにくいけど、舞台に向かって左からキーボードのSON, サックスのNICOLAS, ギターのSOLO, ドラムス、ベースギターのTHEOの奏者なしではこの舞台は存在しませんでした。



そして、主催者として最大の貢献をした親思いの長男ANDRYと妻のTIANAにも心から拍手を送りたいと思います。

 
観客席の隅から、PCの操作をしながら舞台進行を見守るANDYと会場でCDを売るTIANA


曲名でもある“POA TOA IZAY”をデュエットするBessa とLOLA

これからもまだまだ愛の歌を作って歌ってくださいね、BESSA !



Written by Hideo SUZUKI

2008/1/17 木曜日

“POA TOA IZAY” コンサート part 1

CATEGORY: マダガスカル — admin @ 17:40:12


2007年12月7、8日、アンタナナリボ市の中心にあるCCESCAという会場でこの国の代表的な作詞作曲家BESSA巨匠(今年63歳)の“POA TOA IZAY”というコンサートが開催されました。

 

 



”POA TOA IZAY“とは「あっという間に(時が経ってしまった)」、という意味でプトウザイと発音します。1962年の”ROMY“が大ヒットして以来、BESSAの曲がラジオから聴こえない日はない、国民的アーチストで数多くの曲を生み出しています。

マダガスカルで初の試み(?)といっては大袈裟ですが、BESSAの生い立ちから現在に至るまでをステージでは俳優らが寸劇で演じ、ステージの両サイドに準備された大型スクリーンにはBESSAのアルバムからセピア色した昔の写真や、楽曲の歌詞が映し出され、彼の作品に貫通している神の愛、そして彼そのものの生き様が刻まれている曲を観客も一緒に歌いながら、いつもとは違う形で観賞するという企画でした。

 

 

通常、アーチストが亡くなって「追悼式」に行うようなことを、BESSAの3人息子の長男であるANDRYが「生きている間にダダ(マダガスカル語でパパのこと)の音楽家として活動に感謝したい」と、目頭が熱くなる親孝行なプレゼントを考案したので、PHENIX MUSICの初の海外活動が、このコンサートへの支援に繋がったのかもしれません。
支援といっても単なるスポンサーではなく、鈴木日出男代表取締役自らがステージに立ち、BESSAの代表作である“OMENA ANAO”をギター演奏し、さらには日本語とマダガスカル語で歌うと言うパフォーマンスを見せてくれました。

3時間半のコンサートで一番拍手が大きかった場面は、手前味噌ではないのですが、まさにこのシーンで、アンコールの拍手さえ沸きあがっていました。
鈴木日出男のステージへの登場の仕方も、寸劇の演出の一部となっていて、一般客を装い観客席に座っているところへ女優さんが「踊りませんか?」とやってきて、スロー一曲を踊った後、そのまま手を引かれて舞台に上がってしまうというシナリオでした。

  

観客が、「誰?あの人?何が始まるの?」と不思議そうに見守る中、自らコメディアンで司会を務めるGOTHLIEBが英語で “ YOU ARE SUZUKI, BUT YOU CAME FROM JAPAN BY YAMAHA MOTO ?( motoとはバイクのことです)” (=鈴木さんだけどヤマハのバイクで日本から来たの?) とわざと片言の英語で話しかけ、会場が笑いの渦に包まれました。SUZUKIといえば、マダガスカルではまずバイクを思い浮かべます。フランスで日本と言えば、FUJIYAMA, GEISHA、MANGA(?)ですが四輪駆動が大活躍する悪路の多いマダガスカルでは、SUZUKIはTOYOTAに並んで知名度が高い日本の名前です。
“ DO YOU WANT TO PLAY THE GUITARE ? ”と尋ねられと、深々とおじきをして、なぜか既に舞台に準備されているギターを代表取締役は弾き始めてしまいます。

 

 

BESSAはニコニコとそれを見ながら近づいてきて一緒に歌い出すとさらに大拍手が巻き起こります。初日には上院議会の議長さん(Rajemison RAKOTOMAHARO氏)もBESSAの大ファンで来られていましたが、多忙な方にもかかわらず最初から最後まで舞台に釘付けでした。ちょうどこのシーンを見ているところが右下の写真です。

 

 

次回は、鈴木日出男代表取締役に加筆してもらいます。

Written by Ayumi URATA

2008/1/14 月曜日

マダガスカル共和国の首都アンタナナリボ

CATEGORY: マダガスカル — admin @ 21:28:09

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